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グズルム

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グズルム
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グズルム(アセルスタンとして)の銀製ペニー硬貨英語版。879年/880年頃–890年鋳造。

在位期間
878年 – 890年[1]
先代 エゼルレッド2世英語版
次代 エオリック英語版

出生 835年頃
デンマーク
死亡 889年/890年頃(55歳前後)
イングランド、イースト・アングリア
信仰
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グズルム[注釈 1]英語Guthrum古英語Guðrum、835年頃 – 890年頃)とは、9世紀後半に活躍したデーン人ヴァイキングである。のちにイースト・アングリア王となった。デンマーク出身の彼は、アングロサクソン・イングランド諸王国の征服を目的として、871年4月にレディングに現れた「大夏軍(Great Summer Army)」の指導者の一人であり、先にイングランドに現れ蹂躙していた大異教軍と合流した。この連合軍はイースト・アングリア、ノーサンブリアマーシアの一部を次々と征服し、アルフレッド大王の治めるウェセックスを圧倒したが、最終的に878年のエディントンの戦い英語版でアルフレッドに敗北した。デーン軍は拠点へと退却したが、アルフレッドが包囲を敷いたことで、最終的にグズルムは降伏した。

降伏条約に基づき、グズルムは和平合意を承認するためキリスト教の洗礼を受けることを余儀なくされ、その後ウェセックスを去った。続いて締結された「アルフレッドとグズルムの和約英語版」では、アルフレッドとグズルムそれぞれの領土の境界が設定されたほか、平和的な交易や、民衆のウィアギルド英語版(身代金)の価値に関する合意がなされた。この条約はデーンロウの基礎を築いたものと見なされている。グズルムは没するまで、洗礼名であるアゼルスタンの名でイースト・アングリアを統治した[2]

背景

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8世紀後半、イングランドにおいてヴァイキングによる襲撃英語版が開始された。最初の襲撃はおそらく787年、あるいは789年に行われたと考えられている[3]。787年の『アングロサクソン年代記』には以下の記述がある。

「この年、ベオルートリッチ王はオファ王の娘エアドブルフ英語版を妻に迎えた。そして彼の時代に、初めてハラザランド(デンマーク)より3隻の北方の民の船が到来した。リーヴ(代官)英語版は彼らが何者であるか知らなかったため、そこへ馬を走らせ、彼らを王の町まで連行しようとしたが、彼らはその場で彼を殺害した。これらが、イングランド国民の地を求めた最初のデーン人の船であった」
Giles 1914, ASC 787

イングランド諸王国への小規模な襲撃は断続的に続いたが、865年、大規模な侵攻と征服を目的とした大異教軍イースト・アングリア王国に上陸した[4]。この当初の軍勢は、871年に到着した大夏軍(mycel sumorlida)によって補強された[5][6]

大軍勢

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ハーフダン王の硬貨、ロンドン、872年[7]

デンマーク王ホリック2世英語版の甥であり、デンマーク王位の継承に失敗したグズルムは、871年4月にレディングを拠点とする大デーン軍と合流した大夏軍の指導者の一人であった。連合軍はウェセックス軍と数回の戦闘を繰り広げた後、871年から872年にかけてロンドンで冬を越した。この時期にロンドンで鋳造された硬貨にはハーフダン・ラグナルソンの名が刻まれており、彼が指導者であったことを示している[8][9]

872年秋、大軍勢は制圧したノーサンブリア王国に据え置いた傀儡王エグバート1世に対する民衆反乱を鎮圧するためノーサンブリアへ帰還した[注釈 2]。軍勢はトークシー英語版で越冬し、1年後にはレプトン英語版に現れた。874年にはマーシアを征服し、マーシア王ブルグレッド英語版を廃して、傀儡王チェオルウルフ英語版を擁立した[11]

この勝利の後、大軍勢は二分された。半分はハーフダンに率いられて北上し、ピクト人ストラスクライド王国英語版ブリトン人と戦い、残る半分はグズルムに率いられて南下し、ウェセックスとの戦いを継続した[8]

奇襲

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878年1月6日の公現祭、グズルムはチッペンハム英語版に滞在していたアルフレッドとその宮廷に対して夜間に奇襲を仕掛けた。キリスト教の典礼暦において重要な祝日であったため、サクソン人は不意を突かれたと考えられている。実際、ウィルトシャー太守ウルフヘレ英語版が、過失あるいは意図的にこの攻撃を許した可能性が高い。なぜなら、後にアルフレッドが復権した際、ウルフヘレとその妻は土地を没収されているからである[12][13]

アルフレッドは数名の従者と共に逃亡し、サマセットの湿地帯にあるアセルニーという小さな村に身を隠した。その後の数ヶ月間、『アングロサクソン年代記』によれば、彼は軍勢を再建し、グズルムに対してゲリラ戦を展開した。

「アルフレッド:彼は少数の手勢と共に、森や沼地の要塞(fastnesses)[注釈 3]へと辛うじて退却した……。復活祭の頃、アルフレッド王は少数の手勢と共にアセルニーに砦を築いた。そしてこの砦を拠点に、付近のサマセットの民と共に、時折(ヴァイキングの)軍勢に対して戦いを挑んだ」
Giles 1914, ASC 878

数ヶ月後、アルフレッドは忠実な家臣たちをエグバートの石碑(Egbert's Stone)に召集し、そこから侵略者と戦うためにエディントンへと進軍した[15]

敗北

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878年、アルフレッド大王はエディントンの戦い英語版でヴァイキング軍を撃破した。グズルムは軍の残党と共に「拠点」へと撤退したが、アルフレッドは彼を追撃し、14日間にわたって包囲した[16]。グズルムはついに屈し、停戦が交渉された。『アングロサクソン年代記』には降伏の条件が次のように記録されている。

「その後、略奪軍は彼(アルフレッド)に人質を差し出し、自分たちの王(グズルム)が洗礼を受けること、そして王国を去ることを固い誓いと共に約束し、それを果たした。3週間後、略奪軍の中で最も名誉ある30人の男たちの一人として、グズルム王はアセルニー近くのアラー(Aller)において彼のもとを訪れた。王(アルフレッド)は彼に洗礼を授け、その塗油式の布を脱ぐ儀式(chrism loosing)はウェドモーア英語版で行われた」
Giles 1914, ASC 878

和平合意

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降伏条件に基づき、グズルムはキリスト教の洗礼[注釈 4]を受け、軍勢を率いてウェセックスを去ることを義務付けられた。この合意は「ウェドモーアの和議」として知られている[17]。間もなくして別の条約が締結され、アルフレッドとグズルムの領土の境界、平和的な交易、そして民衆のウィアギルド英語版(身代金)の値が設定された。これは「アルフレッドとグズルムの和約英語版」として知られている[18]

グズルムはイースト・アングリアへ戻った。880年代にもヴァイキングの略奪部隊の記録はあるものの、グズルムとその軍勢が脅威となることはなく、彼はサクソン人の臣下にとってはキリスト教の王として、同時にヴァイキングの臣下にとってはノース人の王として、10年以上にわたり統治した。彼は洗礼名であるアゼルスタンの名を刻んだ硬貨を鋳造させた。890年に彼が没した際、12世紀にベリー・セント・エドマンズ英語版で編纂された『セント・ネオッツ年代記』には、ガズラムがサフォークハドリー英語版[注釈 5]に埋葬されたことが記録されている[20][8][21]

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878年のグズルムの洗礼を描いたビクトリア朝時代の絵画
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880年にグズルムによって鋳造された硬貨
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880年から890年の間に鋳造されたグズルムの銀製ペニー
洗礼後、グズルムは洗礼名であるエゼルスタンとして統治した。

大衆文化において

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グズルムは、以下のようなフィクション作品に登場、あるいは言及されている。

映像作品では、以下の俳優たちが彼を演じている。

また、ガズラムはヴァイキング時代を舞台にした多くのビデオゲームにも登場する。

  • 2018年の戦略ゲーム『en:Total War Saga: Thrones of Britannia』では、「イースト・エングル(East Engle)」派閥のリーダーとして登場する。
  • 2020年の『アサシン クリード ヴァルハラ』では、主人公エイヴォルの同盟者として登場するほか、「ディスカバリーツアー」モードではプレイアブルキャラクターとして登場する。
  • 2012年の戦略ゲーム『Crusader Kings II』では、867年の開始時点において、現在のスウェーデン・ヴェルムランドの統治者トルフィンの宮廷に、土地を持たない非プレイアブルキャラクター(Guttormの名で)として登場する。

テレビドラマ『ヴァイキング 〜海の覇者たち〜』では、登場人物の一人であるヴィトゼルクがアルフレッド王によって「アゼルスタン」として洗礼を受け、「サクソン人の王子」とされる描写があり、これが歴史上のグズルムと同一視されていることが示唆されている(ただし、以前に同名の別のキャラクターが登場している)。

注釈

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  1. GodrumGuthormとも綴られる。また、アセルスタン(Æthelstan, Athelstan, Ethelstan)としても知られる
  2. 軍勢の北上の理由については、マーシアとの戦争の結果であるとする説も提示されている[10]
  3. fastness:安全な場所、拠点[14]
  4. 878年の改宗に際し、グズルムの洗礼名はアゼルスタンとなった
  5. 『セント・ネオッツ年代記』ではHeadleageと記されている[19]

脚注

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参考文献

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  • Attenborough, F.L. Tr, ed (1922). “Treaties with the Danes”. The laws of the earliest English kings. Cambridge: Cambridge University Press. OCLC 4296219 
  • BBC (2021年). The Last Kingdom - Guthrum”. www.bbc.co.uk. BBC. 2021年1月22日閲覧。
  • Cambridge Dictionary (2020年). Fastness”. Cambridge University Press. 2020年7月4日閲覧。
  • Costambeys, Marios (2008). “Guthrum”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/11793. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  • Downham, Clare (2007) (英語). Viking Kings of Britain and Ireland: The Dynasty of Ívarr to A.D. 1014. Dunedin Academic Press. ISBN 978-1-903765-89-0. https://books.google.com/books?id=j-sWAQAAIAAJ&q=guthrum 
  • Dumville, David; Keynes, Simon; Lapidge, Michael (1985). The Annals of St Neots with Vita Prima Sancti Neoti, The Anglo-Saxon Chronicle: a Collaborative Edition. 17. Cambridge: D.S.Brewer. ISBN 978-0-85991-117-7 
  • Forte, Angelo; Oram, Richard D; Pedersen, Frederik (2005). Viking Empires. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-5218-29922 
  • Garmonsway, G. N., ed (1972). The Anglo-Saxon Chronicle. London: Dent. ISBN 0-460-11624-X 
  • ウィキソース出典 Giles, J.A. (1914) (英語), The Anglo-Saxon Chronicle, London: G. Bell and Sons Ltd., ウィキソースより閲覧。 
  • Lapidge, Michael; Blair, John; Keynes, Simon; Scragg, Donald (2001). The Blackwell Encyclopaedia of Anglo-Saxon England. London: Blackwell. ISBN 0-631-22492-0 
  • Laust Krambs, Karsten (2024年). Early Norse kings of York”. Academia Edu. 2024年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月27日閲覧。
  • Lavelle, Ryan (2010). Alfred's Wars Sources and Interpretations of Anglo-Saxon Warfare in the Viking Age. Woodbridge, Suffolk: Boydel Press. ISBN 978-1-84383-569-1. https://books.google.com/books?id=oRsQI2gvY3QC 
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  • Oliver, Neil (2012). Vikings. A History. London: Weidenfeld & Nicolson. ISBN 978-0-297-86787-6 
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  • Sturdy, David (1995). Alfred the Great. London: Constable. ISBN 0-09-474280-4 
  • Suffolk Heritage Explorer (2018年). Burial place of the Anglo-Saxon Danish chieftain Guthrum”. Suffolk County Council. 2024年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月28日閲覧。
  • Williams, Ann (1999). Kingship and Government in Pre-Conquest England C.500–1066. Basingstoke: Macmillan. ISBN 978-0-333-56798-2 
  • Wood, Michael (2005). In Search of the Dark Ages. London: BBC. ISBN 978-0-563-52276-8 

外部リンク

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